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前橋地方裁判所 昭和52年(わ)29号 判決

主文

被告人両名は無罪。

理由

第一、第二〈省略〉

第三威力業務妨害罪の成否についての判断

一本件通電等停止行為の違法性

労働争議行為は、それが労務供給停止にとどまる限り違法とされるものではないが、単なる労務供給停止をこえて何らかの積極的行為がなされた場合には、その積極的行為について違法性が問題となるところ、本件のボイラー及び通電の停止は、本来コロニーの管理者に属する施設の管理権を侵害するものというべきであり、また通電停止の結果として、寝たきりの重度障害者に使用される褥瘡防止マットが停止するという事態を招来したものであつて、前記認定のとおり、現実には褥瘡の顕著な増悪は見られなかつたとはいえ、その可能性は到底否定できず、人権上極めて問題であり、以上の二点のみによつても、争議手段としては違法と評価せざるを得ない。(なお褥瘡の防止のためには、職員の手による体位交換が本来望ましい手段であることは被告人弁護人らの主張のとおりであろうが、だからといつて右マットの効用を否定することはできないことは当然であり、殊に本件スト当時の如く、居住区職員の手不足の時にはなおさらである。)

弁護人は本件ボイラー及び通電停止が、労務供給停止にともなう施設設備の安全確保にとつて必要不可欠の措置であつたというのであるが、ボイラーについては、既に一度は運転状態で青木、竹本の両名に引継ぎが行なわれており、右両名は本件ボイラーを取扱う法令で定められた資格は有していなかつたものの、異常事態が生じないようボイラーを監視し、異常事態が生じた場合に応急措置をとる程度の能力は有していたものであつて、本件ボイラー停止は、あえて停止しなければ危険であるとの判断のもとになされたものであるとも、また客観的に停止しなければ危険な状態にあつたとも認めることはできない。通電停止については、平常の勤務においても午後五時から翌日の午前八時三〇分まで一五時間以上にわたつて電気設備を監視する者はいなくなり、無人のまま通電が継続されているのであり、四時間のストライキ時間中無人のまま通電状態で放置しても何ら差支えないことが認められ、結局、ボイラーも通電も安全保持のために敢えてこれを停止する必要はなかつたということができる。従って、右通電及びボイラーの停止行為はいずれも必要やむを得ないものでそれ故適法であるということはできない。

しかし、右停止行為が争議手段として違法であるということとそれが威力業務妨害罪の構成要件に該当するか否かは、もとより別個の問題である。よつて次にこの点を検討しなければならない。

二構成要件該当性

検察官は、本件における「威力」とは、「多数の組合員を前記エネセン前に集合させて多衆の勢威を示し、これを背景に、ボイラーのバルブ等をみだりに操作してボイラーの運転を停止し、受電盤のスイッチを切断した上、コロニー管理者側の通電方要請を拒否し、停電及びボイラー停止の状態を約四時間に亘つて継続した」ことであり、右「多衆の勢威を示したこと」、「ボイラーのバルブ等を操作したこと」、「電源スイッチを切断したこと」及び「通電要請を拒否したこと」の四つの要素が相互に有機的に関連して威力になると主張し(第二回公判における釈明)、弁護人は、威力とは業務主体もしくは業務従事者等に働きかけ、その意思に何らかの反応、作用を及ぼすようなものであることを必要とするところ、本件通電、ボイラー停止行為は、全然そのような性質のものではなく、威力にあたらない。検察官の主張はあいまい、不可解であり、本件は明白に無罪である旨主張する。

1  「威力」の定義

刑法二三四条の威力業務妨害罪を構成する威力とは、人の自由意思を制圧するに足る勢力を指称し、また同条にいう「威力を用い」とは一定の行為の必然的結果として人の意思を制圧するような勢力を用いれば足り、必ずしもそれが直接現に業務に従事している人に対してなされることを要しないものと解すべきであるとされている(最判昭三二・二・二一等)。しかしながら、人の意思を制圧するに足りる勢力といえども、その目的、態様、その他諸般の事情を考慮して、不法に人の意思を制圧するに足りると認められる程度のものであつて、はじめて威力業務妨害罪における威力と認めるに値するものであることも、いうまでもないところである。ことに労働争議過程におけるものについては、それが暴行、脅迫を伴う場合はかくべつ、その行為を切り離して、これを形式的、固定的、画一的に評価すべきではなく、労働法の精神、労働争議の実体にかんがみ、その目的、態様、実害、法益の権衡等、諸般の事情を考慮し慎重に判断しなければならない(大阪高裁昭四四・四・九判決、刑事裁判資料二〇一号四一頁以下)。

2  そこで、判断の順序として、本件における電気、ボイラーの停止行為が、それ自体として「威力」といえるか否かを先ず検討する。

電気、ボイラーを使用して業務を行う者にとつては、それが停止してしまえば、必然的に業務を遂行することができなくなるわけであるから、自由意思を制圧されることになり、その意味で右停止行為ないしそれにより惹き起こされた通電等の停止状態自体を威力と解する余地は一応ないではなく、(本件では、検察官もこのような見解を明らかに主張するわけではなく、前記四要素の有機的関連、総合を主張するのであるが)このような考え方に立つて威力業務妨害罪の成立を肯定したと解し得る先例(近江絹糸岸和田工場事件についての、大阪高裁昭二六・一〇・二二判決、高刑集四巻九号一一六五頁等)も存在する。

しかし、前記威力の定義は、「……人の意思を制圧するような一切の行為」ではなく、そのような「勢力」というのであるところ、本件停電、ボイラー停止行為は、いずれも当該機器装置の正規の操作方法に従つて行われたもので、その直接の効果としては物の破壊ないしこれに類するようなものは一切伴つておらず、更に別の「威力」による妨害が加わらない限り、業務主体側において通電、通気状態を回復することに格別な困難があるとは認められないのであつて、この点において前記最高裁判決の事案(石炭を積んだ貨車の開閉弁を開放して石炭を線路上に落下させてしまつた事案。なお前記近江絹糸の事案は争議行為ではなく、また操業中の織機が停電により突然停止したため、織機にかかつていた織糸が切れたり、織物に疵ができたりしたという事情があつたもののようである。)等とは質的な差違があるように考えられるのであるから、既に認定し、なお後にも触れるように、誰の制止を受けるでもなく平穏裡に行なわれた右停止行為自体を捉えて「勢力」の行使と称し得るか否かについては、多大の疑問があるといわざるを得ない。「勢力」ないし「威力」と言い得るためには、暴行、脅迫、器物損壊もしくは少くともこれらに準ずるような、何らかの意味における暴力的ニュアンスを必要とすると解すべきであつて、そう解しなければ、軽犯罪法一条三一号所定の行為との区別も失われてしまうであろう。(但し本件のように争議行為として行なわれた行為が右軽犯罪法の「悪戯等」という例示に含まれると解し得るかどうかも亦大いに疑問である。)のみならず、弁護人も指摘するとおり、電気事業及び右炭鉱業における争議行為の方法の規制に関する法律(以下、スト規制法という。)二条は、「電気事業の事業主又は電気事業に従事する者は、争議行為として、電気の正常な供給を停止する行為その他電気の正常な供給に直接障害を生ぜしめる行為をしてはならない。」と定め、電気事業法一一五条二項は、「みだりに電気事業の用に供する電気工作物を操作して発電、変電、送電又は配電を妨害した者は二年以下の懲役又は五万円以下の罰金に処する。」と規定するのであるが、これらの規定は、法が電気事業に従事する者の争議行為として通電停止等がなされ、これが労働組合法一条二項によつて正当なものとされることがあり得ることを前提とし、通電停止の国民生活に与える影響の重大性を考え、これを禁止するために、通電停止についてはスト規制法により労組法一条二項の適用のないことを明らかにし、電気事業に従事する者の争議行為として通電停止がなされた場合においては、電気事業法一一五条二項が適用されることを予定したものと解されるのであるが、右「工作物を操作して送電等を妨害」する行為が、それだけで直ちに「威力」にあたると解し得るのであれば、少くとも当該電気事業者に対する関係では、常に刑法上の威力業務妨害罪が成立することになり、これよりも軽い刑を定めた右事業法の規定は殆んど無用の規定ということになろう。また、さらに考えてみるに、もとよりコロニーは景気事業ではなく、本件通電停止については右電気事業法の規定は適用されないのであるが、本件のような通電停止行為が、電気事業の用に供する電気工作物をみだりに操作して通電を停止する行為より違法性が一般的定型的に大であるとも考え難く、従つて通電停止行為自体が直ちに、法定刑において右電気事業法の規定より重い威力業務妨害罪を構成すると解することは、これらの点からも疑問があるというべきである。

なお、ここで本件通電停止の態様、実害等について考えると、本件において組合が協会に対しボイラー及び通電の停止を明確に予告した事実は認められないのであるが、昭和五〇年の春闘の際、ストライキ時にエネセンの保安要員を組合から提供しないことは即ち電気及びボイラーが停止することを意味する旨のビラが配布され、ボイラー及び通電の停止をめぐつて組合と協会とが交渉をした事実が認められ(被告人佐藤の公判廷供述及び押収してあるビラ二枚((団交回答状況報告No.2、速報No.20、昭和五二年押一一七号の二五、二六)))、協会としては、組合がエネセンに保安要員を出さない方針をとつた以上、ボイラー及び通電の停止を全く予想しえなかつたとも考えられないところである。そうであるとすれば、組合が停止の措置に出ることを予想して対策を講ずることが全く不可能であつたともいえないのである。次にボイラー及び通電の停止によつて生じた業務妨害の結果をみると、前記認定の事実のとおり、褥瘡防止マットが使用不能となつたけれども、その影響も現実にはさほど著しいものはなく、それ以外の通電停止の影響も特別重大というほどではなかつたといいうるのであり、ストライキ時間中事故もなく、各寮二人の保安要員によつて園生の介護がなされたことが認められる。なおボイラー停止の影響については、既に第二の四において認定したように、停電の影響よりも更に少なかつたと認められる。

以上に検討したところから、具体的事案に即してみても、本件の通電等停止が、電気事業法一一五条二項の適用がある行為より違法性が大きいということはできないのである。以上のように見てくると、本件通電等の停止行為は、それ自体では「威力」に該当しないと考えざるを得ない。このように解すると、本件のような通電等の停止は、これによつて人の生命、身体等に危害が生じる場合に暴行罪、傷害罪等で処罰される以外には刑事制裁を免かれることになるようであるが、争議行為に際して闘争手段として通電停止が予想される場合は、施設管理者において停電状態が生じないように対応策を講じ、組合員による通電停止を拒否すれば、これを実力で排除することは、まさに威力に該当することとなり、重大な不都合は生じないと考えられる。業務の遂行に通電を継続することが必要不可欠であり、通電停止が重大な結果を生じる場合であれば、それだけ管理者又は経営者は通電を維持することに意を用い、万一通電が停止した場合には可及的速やかに通電回復の措置をとるべきであろう。

そこで次に「自由意思の制圧」の側面から考察すると、次のようにいうこともできるであろう。通電、ボイラー等の停止は、その結果として、電気、蒸気等を使用して行われる業務の遂行を不可能にし、その意味で、右業務に従事する者の自由意思を制圧すると一応言い得るようであるが、業務主体の側において右通電、ボイラーの停止状態の作出自体を阻止すること、あるいは右状態が作出された後もこれが回復措置をとることにさほどの困難もないのに、あえて右のような阻止行動あるいは回復措置をとらずに右停止状態を作出、存続させた場合には、その状態をとらえて威力にあたるとみるのは相当でない。何故ならば、そのような場合には被害者たる業務主体としては、停止状態を作出させるか否か、存続させるか否かを自らの自由意思で決定できる立場にあつたといえるわけであり、そのうえで停止状態を作出、存続させたとしても、それは自由意思の制圧によるものとはいえず、そして現場の業務従事者が業務を遂行できるか否かは、直接的には右業務主体の意思に依存する関係にあるからである。そこで本件において、

(一) 停止状態の作出を阻止しえなかつたか、

(二) 停止状態の回復措置をとれなかつたか

が問題となるのであるが、この点は、右停止行為が検察官の主張するその余の要素すなわち組合員の集合による示威、通電要請の拒否等と相まち、「有機的に関連」して「威力」を構成するかという問題とも関連するので、項目を改めて以下に検討する。

3  「エネセン前に多数の組合員を集合させて多衆の勢威を示したこと」について

コロニー労組の組合員二百数十名が、本件スト当日、午前八時二〇分ころエネセン前に集合し、エネセン南側にある築山を挾むように二手に分かれて集会を開き、最初の約一時間は被告人佐藤及び執行委員の須藤らが前日の団体交渉の経過等を説明し、さらに協会側の保安要員等がエネセンに来た場合に、通行を妨害したり、手出しをしたりすることのないよう注意し、その後は午前一一時三〇分ころまでエネセンの周囲の芝生や縁石などの上に腰を下して、あらかじめ各自が持参してきたパンフレットを使用して学習会を行つたことは、前記認定のとおりである。そしてその目的も直接的にはストライキ中の組合として集会及び学習会を開くことにあつたとしても、他面において、協会管理者もしくはその要請で派遣された保安要員らがエネセンに赴き、電気・ボイラー保守の業務につこうとするに際し、これをためらわせるような、なにがしかの心理的圧力を与えるという効果を必然的に伴うことをも意識し、あるいは更に進んでこれを意図していたであろうことは、推測するに難くない。組合の争議手段として通電、ボイラーを停止するという方法を実際にとつたことは今回が始めてであること、ほかならぬエネセン前を集合場所としたこと、佐藤の前記発言からエネセンに保安要員らが配置されることを組合側があらかじめ予測し、これに対する応対方法を考慮していたこと等から右推測は可能である。この点についての検察官の主張は右の限度で首肯しうる。

しかしながら、このような意図があつたとしても、組合員の集合自体が威力になると考えることは極めて問題である。そもそも労働組合がストライキを行うに際し、団結を強める等の目的のもとに組合員を集合させ、その団結を誇示すること自体は、ストライキが正当なものであるかぎり何ら違法とはいえないものである。本件争議は、争議権を有する労働組合が、基本的には経済要求や労働条件改善要求のために行つたものであつて、その目的において正当でないということはできず、争議手段の中心的本質的部分は労務の不提供で、ただ停電等一部の戦術・手段が違法であるに過ぎない。そして右違法手段がとられたことによる具体的影響も、前認定の程度にとどまることをも考慮すれば、右違法手段がとられたことの故をもつて、本件争議全体が違法性を帯びるというべきものではないと解すべきである。右集合している組合員らが、管理者側の業務遂行行為に対し、暴行、脅迫等不法な実力手段に訴えることによりこれを妨げようとする意思、行動が存する場合であれば別論であるが、そこまで至らず、前記のような一種の心理的圧力効果を意識し、もしくは意図しているにとどまる場合、これを威力にあたるとし、これを違法と評価することは団結の示威自体を違法として禁止することにほかならず、到底相当とは思われない。本件において、集合した組合員らに右のような暴行、脅迫等不法な意思、行動が認められなかつたことは、前認定の「手出しをするな」云々の佐藤発言(この注意事項が組合員らに周知徹底していたことは、当公判廷において取調べた当時の組合員らが一貫して供述していることからして明らかである。)のほか、現に保安要員の竹本、青木、徳田らが右ストライキの最中に自由にエネセンに出入りしていたこと(但し、正面入口からの出入りをちゆうちよさせる雰囲気があつたことは認められるが、組合において保安要員の業務遂行を断固阻止するという意思があつたならば、東側入口も含めてピケットを張り、あるいはエネセン内に組合員を配置するなどして保安要員の出入りをチェックする必要があると思われるのに、そのような気配はまつたく存しなかつた。)、組合員らにおいてボイラー停止の作業中、エネセン内にいた保安要員の竹本に対し、組合員の中畑、吉田らが身分の確認を求めたりしているが、暴力、脅迫等不法な手段を伴つたものではなく、許される範囲を越えた威圧が加えられたとは認められないことなどから明らかといえる。

従つて、本件において、「エネセン前に多数の組合員を集合させ(その状態を長時間継続させたこと)多衆の勢威を示したこと」自体もしくは、これを背景に通電等の停止行為に出たことをもつて威力にあたるとすることも相当でないというべきである。

4  管理者側の通電要請を拒否したこと、或いは管理者側における阻止、回復措置の可能性について

組合員らがボイラーの停止作業に取りかかる以前に、協会管理者が依頼した保安要員の竹本、青木が何ら妨害を受けることなく既にエネセン内に入つて来ていたが、同人らは右作業を制止、阻止しようとせず、(協会側からこのような事態が予測される旨告げられたり、その場合には制止すべき旨を命ぜられたりしていなかつたから、当然といえば当然であるが)右作業は平穏裡に行われた。ボイラー停止後、電源スイッチの切断が行われたが、その場合も同様であつた。(電気関係の保安要員徳田は、そのころ未だ到着していなかつた。)管理者側において組合がかかる行為に出ることを全く予想できなかつたとは認め難いこと、また組合側においては、当局側の管理者や保安要員に対し実力阻止の行動に出る意図はなかつたと認められることは前記のとおりであるから、右通電、ボイラーの各停止行為を当局側において阻止せんとする意思を有していた場合には、それが特に困難であつたと認めるに足る証拠はないといわざるを得ない。

なお右停止作業と前後して、畑中、吉田ら数名の組合員が竹本らを取り巻くようにして詰問口調で身分等を尋ねた事実が認められるが、それも身分等の確認にとどまり、暴行に及んだことはなく、脅迫といえるほどの状況でもなかつたこと、そして右畑中らは間もなくエネセンから外に出て行つたことは、右保安要員らの証言によつても明らかである。(なおこの点は、検察官も、本件審理の当初から、「威力」を構成する要素として明らかに採り上げて主張していたわけではない。)

その後、矢野管理課長から保安要員の徳田を通じ、或いは直接被告人らに対し、通電させてほしい旨の申入れがあり、これに対し被告人佐藤が一旦は反対しないかの如き回答をしたけれども、これに基き矢野から通電方の指示を受けた徳田が念のため田島信光に立会いを求め、田島からこれを聞いた被告人海保が徳田に対し、組合としては「通電してもらつては困る」旨申し伝え、結局徳田は通電措置を取らず、その後通電について当局側(矢野)と組合側との折衝はなされず、矢野から徳田に対する通電指示もなされないまま、スト終了時期を迎えてしまつたといういきさつは前記認定のとおりである。本件における「通電要請拒否」の実態は以上のようなものであつて、矢野から組合側に対し重ねて通電についての同意、了承を求めるとか、協会側の責任において通電を実行する旨通告したような事実も認められず、被告人ら組合側の者から、もし協会側が通電しようとするなら実力で阻止する旨宣言したとか、その他脅迫的な言辞を弄したというような事実も全く認められないのである。そして前記畑中らが出て行つたあと、エネセン内にいたのは右徳田ら保安要員だけで、組合員は誰もいなかつたのであつて、徳田が電源スイッチを入れようとすれば、何ら支障はなかつたのである。にも拘らず徳田がスイッチを入れなかつたのは、同人としては平素から知り合いの田島ら組合員とは、できるだけ事を構えたくないという気持があり、争議手段として電気を切つた以上、無断で通電すれば組合から抗議を受けるのではないかと考え(同人がそう考えること自体は一応もっともである。)、それがいやだつたところへ、矢野からは通電せよとの断固たる指示がなかつたからであると認められ、組合の実力阻止を必至と感じたからであるとは、同人ら保安要員の証言によつても認められないのである。(徳田は、矢野が「話がついた」というのをストそのものが解決したという趣旨に誤解したようにも証言するが、仮にそうであつても、右に述べたところに変りはない。)

次に矢野が徳田から海保の右「通電拒否」の報告を受け、それ以上組合側と突つ込んだ折衝をせず、通電措置をもとらなかつた理由として、矢野の証言するところは、電話交換業務に忙殺されていた上、他の管理職員は皆居住区の保安要員となつていて、自分が管理棟における唯一人の責任者であつたから、持ち場を離れ難かつたこと、及び過去に組合員から暴力を振われた経験から、今回も暴力を振われることを怖れたことの二点に要約されるのであるが、前者については、電話交換のためには臨時職員の中居がいた上、管理棟とエネセンとはせいぜい徒歩二、三分の距離に過ぎず、またエネセンまですぐに出向かなくても、電話による折衝もある程度は可能であるから、充分な説得力に欠けると評せざるを得ず、後者についても、現実に矢野自身や保安要員が暴力を振われる危険が切迫具体化していたわけではなく、更に折衝を重ね、回復措置を試み、その過程で右危険が具体化したら、その時点で中止すれば済むことである。たしかに過去において組合との交渉等の機会に、同人が椅子を蹴払われる等暴行を受けた等の事例があつたことは証拠上窺われるけれども、それはあくまで過去のことであり、本件スト当時には組合側には実力阻止の意図はなかつたのである。それにも拘らず、右過去の例を根拠として、本件における組合側の前記「集合による示威」やこれを背景とした前記程度の態様の「通電要請拒否」に威力性を認めるならば、その意図しないことにまで責任を負わせることになり、当を得ないというべきである。矢野が前記認定の程度以上に回復措置をとらなかつたのは、むしろ管理者としては聊か弱気に過ぎ、怠慢のそしりを免れないように思われる。たしかに、違法状態を作り出しておきながら、右状態の解消を拒否することも違法であるが、本件は右違法状態を威力をもつて維持したといえるほどの実態ではないのである。

なおボイラーの運転再開は、通電が回復された後の問題であるが、前記竹本、青本の二人だけで運転操作ができたかどうかは、必ずしも明らかではない。しかしそれは協会側が選定した保安要員の能力の問題であつて、組合側の責任ではなく、この点を除けば、運転再開の有無については、電気について右に述べたところと同様のことが言えるであろう。

これを要するに、コロニー管理者側において、通電、ボイラー運転再開の措置を取ることがさほど困難であつたとも、証拠上認め難いのである。従つて前記「通電等の停止」及び「組合員の集合・示威」にさらに「通電要請の拒否」という要素を加えてみても、なお管理者の自由意思を制圧するほどの勢力の行使がなされたとまでは認めることはできず、被告人ら組合員の行為、動静が「威力」にあたるとは解し難い。

(藤井登美夫 前島勝三 加藤謙一)

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